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郡嶌コラム 第4回「SDGsとドーナッツ経済」

コラム

2020年10月1日

郡嶌コラム 第4回「SDGsとドーナッツ経済」

同志社大学名誉教授・おおさかATCグリーンエコプラザ顧問の郡嶌 孝氏による特別コラムの第4回を配信いたします。


経済(オイコノモス)とは何か。オイコノモスとは、オイコ(家)のノモス(ルール・規範)を意味し、基本的には「家(家計)」の管理(ルールに基づく運営・経営)を経済的営み(生きる・暮らす)とすることである。「オイコ」の単位を家計にとれば、「エコノミー」であり、地球を単位にとれば、「エコロジー」となる。

カール・ポランニーによれば、「経済」には、二つの意味があるという。ひとつは、形式的な意味での経済(形式的合理主義)、いまひとつは実体的な意味での経済(実体的合理主義)である。

形式的意味での経済は、経済の内的論理からくる。すなわち、経済の目的を便益(利潤ないしは効用)の追求にあるとすれば、それを追求するのに必要な資源(費用=手段)には、限りがある。有限の資源(費用=手段)でもって無限の便益(利潤・効用=目的)を得ることはできない。
そこで、より少ない資源(手段=費用)でより多くの利潤・効用(目的=便益)を得る必要がある。目的に比して相対的に希少な手段で最大(もっともっと)の目的を達成することが求められる。この行為こそ経済活動(効率的資源配分問題)に他ならない。この経済の意味は、「希少性」を前提にした「効率性」「経済性」「節約化」で表される。

いまひとつは、経済の外的論理からくる実体的意味での経済である。経済活動は経済それ自体だけではできない。経済活動は自然から資源を調達し、社会的に経済活動を編成することによって営むことができる。経済は自然および社会という経済の外的要因によって制約を受け、規定される。自然なしに、社会なしに、経済は成り立たない。このような制約のもとに、なぜ経済活動は行われるのか?それは、個人的存在にしても、類的(人類・社会)存在としても「生きていく=生存」「よりよく生きていく=人間の尊厳性」必要性から行われる行為(物資調達)である。 この「生きていくために」我々は自然から物資を調達し、経済を社会的に編成しているのである。経済とは、生きていく手段であり、「人間の経済」「暮らしの経済」としてある。

SDGsとは、我々が自然制約(地球制約)のもとで、社会基盤の上に営んでいる「経済」をこの「母なる地球」において、持続的に「生きていく」ために、経済外的論理に配慮しながら、経済を営むことにある。すなわち、「自然(環境)と社会と経済の鼎立」を図ることに他ならない。ともすれば、我々は、経済の内的論理だけで、経済を営み、自然を破壊し、社会を解体して、「もっともっと」の経済を追求してきたが、その「壁=限界」に気づいた。自然を破壊し、社会を解体しながら、経済が成り立たないことの自明さに気づいた。カール・ポランニー的にいえば、「自然・社会」から離床した経済を「自然・社会」に埋め戻す、これこそがSDGsの原点である。

ケイト・ラワースは、「ドーナッツ経済学」において、経済に対する環境制約と社会的基盤を、それぞれ、ドーナツの外円を環境的限界、内円を社会的基盤として示す。外円の気候変動の深刻さ・生物多様性の消失・環境汚染の拡大の顕在化による環境正義の欠如、内円の富の集中・格差拡大による社会不正義が、人間が安心して暮らせる公正なドーナツ(経済)をいびつなドーナツにしているという。SDGsは、このいびつさを是正する取り組み、すなわち、ドーナツを丸く整えることを目指している。人間として尊厳ある「暮らし」=経済へと経済を再設計すること(持続的で公正な経済の構築)がSDGsの崇高な目的である。

コラム著者

同志社大学名誉教授・おおさかATCグリーンエコプラザ顧問

郡嶌 孝