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郡嶌コラム 第3回「水都大阪の復活と水辺の役割」

コラム

2020年8月28日

郡嶌コラム 第3回「水都大阪の復活と水辺の役割」

同志社大学名誉教授・おおさかATCグリーンエコプラザ顧問の郡嶌 孝氏による特別コラムの第3回を配信いたします。


「水のある風景」あるいは「水辺の景色」は、都市景観の形成に大きな役割を果たしている。今日、「水都」「水の都」を称する都市は多い。
国内でも、小樽、松江、柳川、そして、かつての江戸(東京―ほとんどが埋め立てられるか、暗渠になった。)等十指に余る。海外でも、ベネチア、アムステルダム、バンコク、蘇州、サンアントニオの名が浮かぶ。

大阪は、はるか昔から、「水の都」であった。元々、「水都」とは、瀬戸内海航路の起点として、全国を結ぶだけではなく、中国大陸との交易・交流を進めた「難波宮」を指す語であったという。したがって、大阪は「元祖水都大阪」なのである。この地は、摂津、河内、そして、和泉と水に関わる地名が残る地域でもある。とりわけ、江戸時代には、多くの水路が開削され、橋が多く架けられた。「難波八百八橋」である。水路をうまく活用していたのであった。したがって、水路への「ごみの投棄」は罰せられた。船の往来に支障をきたすからである。

元祖「水都」大阪は、今なお名乗る資格は十分なのか?水路は活用して初めてその機能を発揮する。それは、経済活動(水運)、生活に密着して初めて機能する。しかし、その機能が経済や暮らしから離れると、次第に「眺めるもの」となり、「無用・不用のもの」、そして、「ごみ捨て場」や「汚水を垂れ流す場」となり果てる。水質の悪化がさらに悪化を呼ぶ。それは、誰が水路の管理をするのかにも結びついた問題でもあるが、その役割を終えたと見做され、交通の妨げとなる水路は、暗渠化や埋め立てて道路に転用されたりもした。

しかし、このような運命を辿った水路も近年見直されてきている。水路の再生・復活・利用が「水辺のある風景」とともに「水辺の生活」を活気ある「賑やかな場」へと再生する試みが取り組まれている。親水権の活用である。大阪では、この取り組みが、2001年内閣官房都市再生本部の「都市再生プロジェクト」に指定された。とりわけ、「水の回廊」を都心部のシンボル的な空間づくりに、船着場の整備・護岸・橋梁等のライトアップによる「夜の幻想的な景観」形成が推進されている。水辺の活用である。

今ひとつは、「風の通り道」づくりである。夏場にヒートアイランドと化す都心をかつてのように「風の通り道」と「憩いの場」をつくることで気温を少しでも下げようという試みである。東京では、東京湾からの風が、高層のビルが「壁」となって、妨げられてきた。これを河川に沿って、東京湾からの風が通り抜けできるように、整備する試みがなされている。

さらに、大胆に改造再生したのが、韓国ソウルの清渓川である。川というよりも「せせらぎ」といったほうがいいかも知れない河川であるが、この「せせらぎ」、長い間、下水道の代替として利用されていた。そのため、水質汚濁が進み、暗渠化され、高架道路が通された。1971年のことである。しかし、2000年代に清渓川復元の機運が高まり、高架道路の撤去と河川の復元工事が行われ、河川は、市民の「憩いの場」として甦った。同時に、夏場のソウルの気温を下げる効果も発揮している。

このように、我々が関心を持ってコミットしている時には、適切に管理される。関心が薄れて、コミットしなければ、そこから関心は薄れていく。そして、気がつけば、その「ありがたさ」が分かれば、再びその重要さに気づく。自然は何もいわないが、その気づきを待っているのである。手遅れにならないうちに。

コラム著者

同志社大学名誉教授・おおさかATCグリーンエコプラザ顧問

郡嶌 孝