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SDGsコラム「地球にやさしい会社を創る・その2」【最終回】

SDGsビジネス

2023年8月31日

SDGsコラム「地球にやさしい会社を創る・その2」【最終回】

こんにちは。ATC環境アドバイザーの立山裕二です。これまでエコプラザカレッジの講師として、また環境ビジネス情報の記事などを執筆させていただいておりました。

今回は、地球満足の経営についてです。いささか古い内容もでてきますが、このシリーズは初心者向けの内容になっていますので、復習のつもりでお読みください。

(今回をもって、立山裕二氏によるSDGsコラムは最終回となります。読者の皆様には、長い間ご愛顧いただきまして感謝申し上げます。)

■地球満足の経営

顧客満足(CS:Customer Satisfaction)はもはや常識となり、各企業は顧客を満足させる商品やサービスの開発に全力をあげて取り組んでいます。さらに、従業員の満足なくして顧客を満足させることは困難であるとの考えから、従業員満足(ES:Employee Satisfaction)を経営方針に掲げる企業が増えています。

これらは、以前の「生産者中心の自社満足志向の経営」から脱却したという点で大いに評価できます。しかし、地球環境問題の深刻化や地球の有限性(資源量・廃棄場所・自浄能力はすべて有限)を考えると、まだ不十分だと言えます。

地球の有限性については、「砂時計のたとえ」が分かりやすいと思います。

今ここで、砂時計をひっくり返したとします。砂が流れ落ちています。計ってみると、1秒間に5グラムずつ流れています。

さて、このままのスピードで砂が流れづけるとすると、この部屋が砂でいっぱいになるのは何日後でしょうか。

「そんなアホな!」とか「バカにするな!」という声が聞こえてきそうです。

しかし、現実を見てください。石油、炭水、鉱物資源、森林資源・・・・。「このままずっと存在し続けることはない」とは知っていながら、永遠に存在するが如く消費し続けているのではありませんか。「今の状態が続くとすると」とあり得ない仮定を平然とやってのける経済学者も、「経済成長を永遠に続けなければならない」と錯覚している政治家や経営者も・・・・。「砂時計のたとえ」を笑い飛ばすことができるでしょうか。

砂時計に「容器中の砂の量」という制約条件があるように、この地球にも「資源量」「廃棄場所」「自浄能力」の有限性など、だれでも知っている「制約条件」があるのです。

◆地球満足と地球不満足

私は以前から「顧客満足」や「従業員満足」の前提条件として、「地球満足(GA:Global SatisfactionあるいはGaia Satisfaction)」志向が必要だと考えています。ここでいう地球満足とは「循環、共生、調和、ほどほど」さらに言えば「足るを知る」「もったいない」という地球のニーズを満たすことを意味します。地球満足を考慮しなければ、自分のことしか考えない「わがまま集団」を限りなく「わがまま」にしてしまう可能性があります。

つまり地球のニーズを知らない、あるいは無視する消費者のモア・アンド・モアの欲望を刺激し、環境に対する負荷を際限なく増大させてしまうということです。ちなみに「わがまま集団」の主要な特徴として、「大量生産・大量消費・大量廃棄、不必要最大限、競争・比較志向」が上げられます。

グリーンコンシューマーの外側にモア・アンド・モア(もっと便利に、もっと快適に)の欲望を持つ「わがまま集団」が取り巻いています。これまで行われてきた経営活動は、この「わがまま集団」を拡大することに偏重しすぎていたように思えます。

そのため、あくなき欲望を満たす商品・サービスの開発を永遠に続けなければならなくなってしまいました。しかもこの集団の購買動機は、「満足するものを安く買うこと」ですからコストの増加を価格に反映できず、薄利多売を極限まで追求せざるを得なくなっているのです。

そこで多くの企業は、大量生産によって商品の単価を引き下げ、大量に販売する政策を採用することになりました。頻繁にモデルチェンジを繰り返したり、保証期間が過ぎるとできるだけ早く壊れてしまう商品を開発したりといった、いわゆる「計画的陳腐化戦略」がその代表的なものでしょう。

しかしこの戦略は、「地球不満足」であることは明らかであり、環境的にも社会的にも貢献しているとは言えません。つまり、前述のサステナブルカンパニーにはなり得ないと言うことです。

すでに環境経営度調査など「環境確付け」が実施されており、環境への取り組みによって企業イメージが左右され、株価や業績にまで影響するようになってきました。これからは、環境負荷や資源使用量を格段に低減する目的以外の「計画的陳腐化戦略」は成り立たないと考えるべきでしょう。

それでは「地球満足の経営」には、どのような方策が考えられるのでしょうか。

◆本物の商品・サービスを追求する

マーケティング力や販売力で絶対的に優位に絶つためには、いわゆる「本物商品、本物のサービス」の創造が不可欠です。とくに「地球満足の経営」を目指す企業にとって、それぞれの特長を活かした「本物」を追求し続けることが成功へのキーポイントです。

ところで、本物とはどのようなものを言うのでしょうか。私自身は、「『ああ生きていてよかった』と実感させるような商品またはサービス」と捉えています。もちろん、環境に調和しているとか、健康を害さないと言う「自然の理に適っていること」という条件が付くことは言うまでもありません。

◆コストからレスポンシビリティへ

環境に配慮すれば、どうしても原価が高くなります。リサイクルコストや資源再生コスト(木製品における植林など)が上乗せされるからです。ここでコストという言葉を使いましたが、これは「犠牲」「損害」というニュアンスがあります。これでは企業としては何とか避けようと考えるのは当然かもしれません。

環境に配慮する際の費用は、コストと言うよりは、「義務」あるいは「責任」を表す「レスポンシビリティ(Responsibility)」と考えるべきです。この言葉を使うことで、売り手だけでなく、買い手も環境負荷に対する「責任」と環境修復の「義務」を負担しなければならないことが明確になります。

たとえば、「大量生産の効果によって販売価格が下がり、販売数が激増した場合」や「省エネ効果抜群で電気代が下がったのはいいが、その分が他の環境負荷の高い商品の購入に回された場合」などは、結果として社会全体の環境負荷を増大させてしまいます。このような現象を「リバウンド効果」といいます。

大量生産によって販売価格を下げることができたのは、トータルの製造費用が低下したのではなく、単品当たりの製造原価が下がったからです。省エネ効果で電気代が下がったというのも、社会全体で下がったわけではありません。製造原価が下がったからといって、どうして販売価格も下げる必要があるのでしょうか。これは、環境に対する「責任」と「義務」を放棄していることに他なりません。

◆エコ・リュックサックを考慮する

大部分の人は、「商品は多く買うほど単価が安くなるべきだ」と信じています。しかしこれは自然の法則とは真っ向から対立する信念(思い込み)なのです。

たとえば、熱帯林の木を1本伐って椅子を1脚作り、1万円で販売するとしましょう。このとき1本の木の「再生コスト」は1本の苗木代で済みます。この場合、「再生責任」も1本の苗木相当分になるでしょう。しかし、同じ熱帯林の木を1千本伐って1千脚の椅子を作るとすると、「1脚当たりの製造コスト」は低下しますが、「再生責任」は1千本の苗木分だけですまないのです。

熱帯林では、1千本の同種の木を伐採するのに300~500ヘクタールも探し回らなければなりません。さらに1本の木を伐採するために、運搬道の造成などで多くの木が道連れになります。このような目に見えないところで発生している環境負荷を「隠れたフロー」とか「エコ・リュックサック」と呼んでいます。椅子の背もたれに環境負荷という「目に見えない巨大なリュックサック」が掛かっているというイメージです。

こうして森林地帯の生態系、保水能力、土壌、光合成の能力などが失われているのです。これらを再生しようとするならば、当然のことながら「再生責任に関わる費用」は巨大なものとなります。

このように自然界は、たくさん伐れば伐るほど、つまりたくさん買えば買うほど商品を高くしないと成り立ちません。今まで成り立っていたように見えたのは、「再生責任」を考慮することなしに価格が設定されていたからなのです。これを外部不経済といったりしていますが、「レスポンシビリティ」つまり「責任」や「義務」という観点に立てば、大量生産をしたからといって価格を下げる必要はないし、むしろ価格を上げることも考えなければならないのです。

◆価格決定の見直しが必要

価格を決定する方法として、「①販売価格=コスト+利益」で表される「コストプラス法」が多く採用されています。しかし、環境配慮の観点からいえば、「②販売価格=コスト+再生責任費用+利益」でなければならないはずです。

①の場合、大量生産してコストが低下すれば、価格を下げても同じ利益が得られることになります。しかし大量生産すれば単品としてのコストは下がりますが、同時に全体の「エコ・リュックサック」が増えるはずです。当然のことながらその分「再生責任費用」が増大することになります。大量生産すればするほど、累進的に環境配慮費用(再生責任費用)が増大するケースでは、コスト低下分と相殺されるどころか、場合によっては利益を食いつぶすこともあり得るのです。

これまで成り立っていたのは、再生責任費用を無視(外部化)していたからに過ぎません。これからは、きちんと再生責任費用を把握することが必要になります(方法論については、大いに議論する必要があります)。ただし、再生責任費用を明確にするために、コストとは分離して集計する必要があります。

◆受益者負担が原則

拡大生産者責任の立場からは批判を受けるかもしれませんが、やはり「受益者負担の原則」を採用すべきだと思います。当然のことながら、売り手は「再生責任費用」を明確に公開し、最終消費者が負担した分を環境修復や環境負荷低減のために充当しなければなりません。消費税のように全体に課税するよりも、責任の所在とその費用額が明確になるので実効性が高いと思いますが、いかがでしょうか。

もし買い手側が、受益者負担を拒否して「再生責任」を果たさない場合は、環境配慮責任税(環境修復のための目的税)のような形で強制的に課税せざるを得なくなるでしょう。

自分が荒らしたところは、自分で片づけるのが当たり前です。子供でも分かることが、どうしてできなくなってしまったのでしょうか。「自分で片づけるのはお金がかかるからイヤだ」とか「環境にやさしい会社と評価されるために後始末をします」では、余りにも情けないではありませんか。

◆タイプ3の環境ラベルを

これからは、「レスポンシビリティ(再生責任)」の重要性と「本物の価値」とをどのようにして伝えるかが課題となるでしょう。とりわけ環境関連商品については、「レスポンシビリティをきちんと果たしていること」を買い手に正確に伝える必要があります。

その有効な手段に「環境ラベル」があります。環境ラベルには、「環境に配慮した商品を消費者に選んでもらうことによって、環境を保全する」という意図があります。日本のエコラベルやドイツのブルーエンジェルがその例です。環境ラベルについてISOでは、3つのタイプを検討しています。

タイプ1は、第三者が認証を与えるもので、日本のエコラベルなどが該当します。タイプ2は、メーカーの自己宣言によるものですが、誇大宣伝にならないように基準を設けようとするものです。タイプ3は、製品にエネルギー使用量、素材の分析表など、環境に対する付加情報を具体的に表示するものです。

今後は、「レスポンシビリティをきちんと果たしていること」を宣言する「タイプ3」が本物を伝える有力な手段のひとつになるものと思われます。

◆エコデザインを追求する

以前述べたように、「資源生産性」において日本は最先進国であることを紹介しましたが、これで満足するわけにはいきません。

これまでの省エネ・省資源は「単品当たり」で実現してきました。しかし、スケールメリット(大型化・薄利多売)の追求によって、その効果が相殺されたどころか、トータルとしてエネルギーや資源の消費量が増えてしまっているからです(リバウンド効果)。

今後要求される省エネ・省資源は「単品当たり数パーセント削減する」という改善レベルではなく、「絶対量として半減あるいは10分の1にする」という革命レベルなのです。

そのためには、エコデザインやエコマテリアルを徹底的に研究し、実現しなければなりません。エコデザインとは、ライフサイクル全般にわたって環境効率性の高い製品を設計すること、エコマテリアルとは、その高い環境高率性を実現できる材料を選択することです。

◆ファクター10を追求する

環境経営の話題の中で「ファクター4」とか「ファクター10」という用語が頻繁に出てきますた。ここで使われている「ファクター」は倍率を表しています。たとえば「ファクターX(エックス)」は、「資源生産性をX倍にする」とか「環境負荷をX分の1にする」という意味です。このXを何にするかについては多くの見解がありますが、「ファクター4」と「ファクター10」が代表的なものです。

・ファクター4

1995年、ローマクラブに対して行われた「豊かさを2倍に、環境負荷を半分に」することを目指す報告の中で使われました。技術的には資源生産性を現在の4倍にすることが可能であり、個人や企業、社会を豊かにすることができることを示したものです。

ここでいう資源生産性とは、「製品性能を資源やエネルギー等の物質集約度で割ったもの」で、一般的な定義(GDP÷国内の総物質需要量)とは異なりますが目指す目的は同じです。

ファクター4は、製品性能を2倍にして物質集約度を2分の1にすることで達成されます。これによって、「資源消費量を現在の半分に抑えながら、世界中の人たちの平均的な生活水準を現在の2倍に引き上げることができる」としています。

・ファクター10

ドイツのヴッパータール研究所が1991年に提起した目標です。同研究所のシュミット=ブレーク氏は、世界の人口増加を考えるとファクター4では不十分であり、OECD諸国ではファクター10が必要と主張しています。

持続可能な経済社会を実現するためには、今後30年のうちに資源利用を現在の半分にする必要があり、地球の全人口の20%を占める先進国がその大部分を消費していることから、先進国において資源生産性(資源投入量当たり財、サービス生産量)を10倍に向上させる必要性を強調しています。

◆ファクター10のための第一歩

「ファクター10が必要なことは分かるが、いったい何から手をつけていいやら・・・・」と悩んでいる方のためには、単なる改善努力ではなく、この際、思い切って改革・革命努力をしてみませんか。

昔から、「数%の改善はできないが、50%という大改革ならできる」と言われています。改善は従来方法の延長線で考えるので、できない理由(実は、したくない理由)ばかり出てきがちです。しかし、「コストを半分にしろ」とか、「エネルギー効率を10分の1にしろ」という改革・革命レベルの命令従来方法では不可能ということが明らかなので、視点や思考プロセスを根本から変えようという意志が働きます。その結果、画期的なアイデアが生まれたり、不可能と思われた目標が達成されたりするのです。

皆さんも、改革・革命的な未来ビジョンを描き、その実現のために行動を始めませんか。これこそが「ファクター10」への第一歩であり。その先の「ファクター20」さらには「ファクター100」を実現する道なのです。

コラム著者

サステナ・ハース代表、おおさかATCグリーンエコプラザ環境アドバイザー

立山 裕二