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SDGsコラム「先賢に学ぶ『環境問題解決と生き方の智恵』・その2」

SDGsコラム

2023年6月30日

SDGsコラム「先賢に学ぶ『環境問題解決と生き方の智恵』・その2」

こんにちは。ATC環境アドバイザーの立山裕二です。これまでエコプラザカレッジの講師として、また環境ビジネス情報の記事などを執筆させていただいておりました。

今回は、前回から始まりました、先賢から環境問題をはじめとする問題の解決方法のヒントを学ぼうというシリーズその2です。
ではスタートします。

■先賢に学ぶ『環境問題解決と生き方の智恵』・その2

 

3.知っているのに・・・・できない?

いまだ、知って行わない人などいません。
知っているのに行わないというのは、それは本当の
ところ、まだよく知らないということなのです。

【王陽明:伝習録】

「タバコが身体に悪いことは知っているんだが、やめられないんだよ」
「地球環境問題のことはよく知っているけど、なかなか行動に結びつかなくてね」
「実践が大事だと知ってるんだけど、一歩を踏み出すことをためらってしまうんだ」

知っているけど~できない。私を含めて、このような弁解をする人が多いように思います。

王陽明は、こんな私たちに「それを“知らない”というのだ」と戒めています。「知るは行の始め。行は知の完成したもの」、「知と行は二つでひとつ」と喝破した王陽明きわめつけの箴言です。
これこそが「知行合一」の本意です。「言うこととすることを一致させましょう」という薄っぺらなものではありません。
私はこの箴言を聞く度に、実践することの大切さを思い出します。

地球環境問題を解決するには、まず知ること。
こんなスローガンがありますが、ここでいう「知ること」とは、「事実の知覚+実践」であることは言うまでもありません。
真の意味で「環境問題を知っている」人をいかに増やすかが、美しい未来を実現するための大きな課題ではないでしょうか。

4.自然が残してくれた大プロジェクト

自然が山野を描く如く、描きうる画家がいるだろうか?
自然がほどこす彩色に挑みうる想像力を、誰がもちうる
だろうか?

【トムソン】

トムソンは、18世紀初めに活躍したイギリスの詩人です。溢れんばかりの詩人の感受性をもってしても捉えきれない自然の圧倒的なスケール、そして美。眼前の自然に息をのみながら畏怖する詩人の姿が目に浮かびます。

さて最近、美しい自然に囲まれた地域から、地球環境問題の講演を依頼されることが多くなってきました。

「こんなに緑が多くて、美しい川が流れるところでも地球に思いを寄せる人たちがいるなんて、嬉しいな」と感動します。地元の人は、「この美しい自然を未来の子どもたちに残したい」と異口同音におっしゃいます。私としてもこの言葉を聞くたびに、地球環境の実態を正しく伝える大切さを実感しています。

ところで、地元の人たちと話を進めるうちに、必ずと言っていいほど「開発」という言葉が出てきます。「美しい自然を残したいという思い」と「開発が遅れることで周辺地域から取り残される不安」とが交錯しているのだそうです。「周辺地域はリゾート開発によって人が集まり、どんどん賑わいを
増しているのに、この地域では人を集めるものが何もないので、さびれるばかり。自然を残したいという意欲も揺らいできます」。これが代表的な声でしょう。
私は、「そうですか。多くの人が集まると活気が出てきますからね」と受けとめる一方で次のような話をします。

「数年前、沖縄の宮古島に遊びに行きました。どうして宮古島かというと、沖縄本島や石垣島などに比べて開発が遅れているからです。何もないというのは、それだけで素晴らしい価値があります。自然がそのまま残っているということですからね。宮古島に来ていた多くの人もそう言っていました」。

つまり、「何もないということ」が大きな魅力なのです。

◆「開発」とは?

もし東京や大阪に1000メートル級の山並み、美しい水の流れる渓流、サンゴ礁が輝くマリンブルーの海などを造るとしたらどれほどのお金がかかるでしょうか。おそらく数兆円以上、というよりも実現不可能でしょう。
私たちは、10億円のリゾート施設を作るために、何兆円も出しても創れない自然を壊しているのです。
こう考えると、何もないように見えて、実は「大自然が巨大プロジェクトを遥か昔に完了してくれていた」ということが分かります。
私たちは、いまさら「開発」に頼らなくても、自然の残してくれた大プロジェクトを思う存分活用すればよいのです。

私たちは、その地方特有の自然を活かした本当の意味での「開発」と自然を根こそぎはぎ取り、巨大な建造物にとって変わらせる「乱開発」とを混同しているように思えます。『開発』は本来仏教用語で「かいほつ」と読むそうです。
その本来の意味は、「如来を信じる心が起こること、真実の智慧が起こること」、具体的には「その土地やその人の特長を活かしきる」ということだそうです。
現在私たちが使っている「開発」は本当は「乱開発」と呼ばれるべきものなのです。乱開発によって、土地が根こそぎにされていることは衆知の通りです。

◆ノドもと過ぎれば・・・・

私たちは阪神淡路大震災のとき、「何でもあると信じられていた都心部には生きていくのに必要なものは何もなく、何もないと信じていた農村や山間部には生きるに必要なもの(水や山菜など)がすべて揃っていた」ということを思い知ったはずです。

ノドもと過ぎれば熱さ忘れる。またもや「かいはつ」合戦が以前にも増して進行しています。とはいうものの、これからは、何も手を加えられていない素晴らしさを求める人が増えてくるでしょう。彼ら・彼女らは、自然を愛し、美しい自然を未来に残そうとする人たちです。
多くのリゾート地のように、ごみのポイ捨てに悩む心配もないでしょう。

以上のことは、自然の一員である人間にも当然あてはまります。

人間開発(かいはつ)ではなく個性開発(かいほつ)を心がけることが、特に子育てにとって必要ではないでしょうか。

私は、「開発が遅れていること」を喜び、「何もないこと(実は何でもある)」に感謝できる時代がすぐそこに来ていると感じています。

私たち人間もすべての飾りをはずすことで、「自然のままの魅力」を発見できるかも知れませんね。

5.満足できない人

わずかなものに満足できない人、こういう人は、実際のところ、どんなものにも満足しないのだ。

【エピクロス】

 

なるほど、確かにそうかもしれません。
どのような逆境にあってもその中に幸せを見いだすこと。
これは、人間の永遠の課題のようです。いま息をしている事実に満足し、この幸せに浸りたいものですね。

さて、際限のない物質的な欲望を追い求める人の背中を見ていると「愛されたい。でも誰も愛してくれない」という悲痛な叫びを感じます。
「愛されていない」と感じている人は、この寂しさを無意識下に押し込め、ひたすら「物質的欲望」を追求するようになります。

しかし「愛が欲しい」という「欠乏欲求」が根底にあるため、どんなにお金を儲けても、豪邸に住んでも決して満足することはありません。

実は、「愛されていない」と感じる人は、「愛していない」のではないでしょうか。愛されるためには、まず自分を愛し、そしてすべてを愛することが必要だと思います。

とはいっても、愛という言葉が偽善的で嫌だとか、宗教臭くて嫌だという人もおられるでしょう。

世の中には、いろいろな人がいます。どう思おうと自由です。

しかし、もしその人が悩み苦しんでいてアドバイスを求めてきた場合は、その人に適した方法を見つけ、「自分を好きになる」お手伝いをしてあげてはいかがでしょうか。

(次号は別のテーマになります。)

コラム著者

サステナ・ハース代表、おおさかATCグリーンエコプラザ環境アドバイザー

立山 裕二