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特別コラム 第28回「グリーンクリエイターを育てる『環境共育』その2」について

コラム

2022年7月31日

特別コラム 第28回「グリーンクリエイターを育てる『環境共育』その2」について

こんにちは。ATC環境アドバイザーの立山裕二です。これまでエコプラザカレッジで環境経営やSDGsなどについてセミナー講師を務めさせていただいておりました。

今回は、グリーンクリエイターを育てる『環境共育』について、アイデアを引き出すコツをいくつかご紹介したいと思います。

4.地球にやさしい行動……それも大切ですが……その前に!

環境共育の中で、「地球にやさしい行動」の数々を教えています。もちろん大切なことですが、先に「まずは自分自身で考えてもらい、アイデアを引き出すことが必要」と述べました。

しかし、「予め答えが決まっている問題」や「二者択一の○×問題」を与えられてきた人にとって、「自分で考えること」には慣れていないようです。そこでここでは、アイデアを引き出すコツをいくつかご紹介したいと思います。

◆なぜ私たちは自動車に乗るのだろうか?

「自動車(マイカー)の利用を減らし、アイドリングをやめよう」

もはやこんなことは常識ですね。自動車が二酸化炭素を排出し、大量のエネルギーを消費することは、どの環境関連の本にも書いてあります。

自動車より、バス、バスより電車、電車より自転車、自転車より徒歩の方が、二酸化炭素削減にも省エネに役立つことはいうまでもありません。しかし100メートル先にタバコを買いに行く際でも車に乗る、という人もたくさんいますし、郊外から大渋滞に巻き込まれながら都会にマイカー通勤(ほとんど一人乗り)という光景もよく目にします。

この人たちに、「マイカーの利用を減らし、アイドリングをやめよう」と言っても「そんなことくらい知ってるよ。でも車がないと仕事ができなくなるし・・・・」という予想できる反論(言い訳)が返ってくるだけでしょう。また「アイドリングという英語は、日本語でムダという意味ですよ」と教えても、「そんな屁理屈言うな!」と一喝されそうです。

言ってもムダということで、法律や条例で規制するという方法がとられますが、徹底されなければまったく効果を発揮しません。

それでは、というわけで今度はハイテク装置を車に組み込んで、アイドリングをできなくしたり(エコアラームなど)、車の走行記録をとったり(飛行機のボイスレコーダーの自動車版)とあの手この手が考えています。

これらのことはまったくムダということはありませんが、その前に次の2つのことが必要と考えます。

ひとつは、「地球環境問題(SDGsの課題)の現実を実感する」ということです。もうひとつは、「私たちはなぜ自動車に乗るのか?」という問いかけをしてみることです。

車を手足のように使いこなしている人にとっては、車はまるで空気のようなものです。彼ら(彼女ら)はほとんど無意識のうちに運転しているため、「どうして乗るのか?」など考えたことがないのかもしれません。

体の不自由な人や超寒冷地で車を運転せざるを得ない場合は別にして、「よく考えてみると、確かに必要ない場合でも何気なく車を運転しているな」ということに気づくかもしれません。

そして、「自動車よりも自転車や徒歩の方が健康にも良いし、よし!、本当に必要なときだけ車に乗ろう」と思えばしめたものです。皆さんも一度、家庭や職場で話し合って見てはどうでしょうか。

体の不自由な人や超寒冷地に住む人は、みんなで助け合ってカーシェアリングなどで車を共有することも今以上に進めることも大切です。

この場合、パートナーシップを活用し、またそれぞれのパートナーシップをつなげ、より大きなパートナーシップを育てていく活動が望まれます。

◆なぜテレビを見るのだろうか?

「電化製品の利用を減らそう」「使わないときは主電源を抜こう」

これらのことも、誰でも知っていることですね。しかし、なかなか徹底できないのが本音のようです。

これも、「地球環境問題(SDGsの課題)の現実を実感する」ことが徹底への道のひとつです。そしてさらに大切なのは、「私はなぜテレビを見るのだろうか?」と自問してみることです。

私も独身(ひとり暮らし)の時、夜自宅に帰って真っ先にすることは、テレビをつけることでした。別に見たい番組があるわけでもなく、ただ何となくとしか言いようがありません。ただ寂しかっただけなのでしょう。

子供の頃を思い出すと、もちろん面白くて必死に見るということもありましたが、「アニメのストーリーを覚えていないと友だちとの話題についていけない。仲間はずれになりたくない」という思いがあったことは否定できません。

テレビを見る理由が、「寂しいから」とか「仲間はずれになりたくないから」という思いであることが分かると、この思いを満たす方法はテレビ以外にいくらでもあることに気づきます。気づいた人は、「テレビを見るな」といわれるまでもなく、何か別のことをするようになるでしょう。

子供たちの場合なら、テレビを見ない変わりに「みんなで遊ぶ」という選択肢がありますもし誰かひとりがテレビを見たとすると、その子が少数派となり、寂しい思いをすることになるのです。

ある意味、(テレビ)ゲームは「みんなで遊ぶ」というメリットがあります。ただヤリ過ぎで別の問題が出てくるので注意しなければなりません。

この場合も、「皆で考えて対処する」という基本を大切にしたいものですね。

◆なぜ、テレビがつくまで待てなくなったのか?

「待機電力をなくすために、リモコンを使わないようにしよう」

テレビやビデオの待機電力をなくすためにリモコンを使わなければ、10%も消費電力が削減できます。この他にもコピー機やFAXなど待機電力がかなり大きな電化製品があります。したがって、「待機電力をなくすために、リモコンを使わないようにしよう」というのは、非常に有効な方法といえます。

しかし、これまでの例と同様に「リモコンを使うな」というだけでは、せっかくの大きな気づきのチャンスを失ってしまいます

ここで、少し時間を使って「なぜテレビなどの主電源を入れて、画面が出てくるまでの数十秒が待てなくなってしまったのだろうか」と考えてみてはいかがでしょうか

確かに最近のパソコンなどはプログラムが大きいので、主電源を入れてから使用可能になるまでかなりの時間がかかるものもありますが、それでもせいぜい1~2分といったところでしょう。

ほんの10年ほど前までは、5分くらい待っても平気だったように思います。そういえば、信号待ちでも最後まで待ちきれない人がたくさんいるし、10分程度の電車やバスの時間待ちが長く感じられることもよくあります。飛行機などで予め座席も到着時刻も決まっているのに、搭乗者の列に割り込もうとする人も少なくありません。

なぜこんなことが起こるのでしょうか?……時間が惜しいから? イライラするから?

ではなぜイライラするの?……思い通りにならないから。なぜ思い通りにならないとイライラするの?……いつも一刻を争う社会に生きているから……、など自問自答を繰り返してみましょう。

ひょっとすると、自分の中にある満たされない心に気づくかもしれません。

私の場合は、「あれもこれもしなければ……」という『あせり』が原因でした。このことに気づいてからは、「いっぺんに一つのことしかできないのだから、一つずつ片づけていけばいいや」と思えるようになり、待つことが苦痛でなくなったのです(いつもというわけではありませんが……)。

環境にやさしい行動を一つひとつ実践することは大切です。ただ、その前に「私はどうして~するのだろう」と自問することをおすすめします。そうすれば、自分に気づき、肩の力が抜けてきます。生活が自然体で、楽しくなります。長続きします。結果として、地球にもやさしくなります。この方法は、環境共育にも気づきを促すという点で、大いに役立つでしょう。まずはお試しあれ!

5.究極の環境共育は、お年寄りから学ぶこと

◆子供たちが、お年寄りを尊敬するコミュニティ

今、私たちがしなければならないことは、最も身近な「生命のつながり」である「家族のきずな」を強くすることだと思います。その中でも、「おじいちゃん、おばあちゃんとの絆」を取り戻すことが最優先課題だと思います。早くしないと、大いなる知恵が失われてしまいます。

そこで私は、次のような子供たち向けの環境共育プランを考えました。まだ数は少ないですが、かなり好評です。皆さんの街でも、ぜひ取り組んでみませんか。

なお、以下、「おじいちゃん、おばあちゃん」を一緒にして「お年寄り」としていますが、ここでは「尊敬語」と解釈してください。

環境共育プラン:お年寄りと子供たちとの出会いの場づくり

①地域のお年寄りと子供たちに集まってもらう。
②まずインストラクターが、ドイツの環境への取り組みを紹介する。

ゴミが著しく減少していること、リサイクルが進んでいること、量り売りや、はだか売りをしていること、包装が簡素なこと、マイバック持参のこと……などを説明します。

③日本の現状(ゴミの量・過剰包装・レジ袋など)を報告する。
④お年寄りの代表に子供の頃のことを話してもらう。

ドイツがしていることは子供の頃は当たり前だったこと。そして、風呂敷を取り出し、買い物袋やビン入れなど、いろいろな使い方ができることを実演します。

→子供たちの目が輝いてきます(お年寄りってカッコイ!)。

⑤子供たちに、「おじいちゃん、おばあちゃんてカッコイイだろう」と問いかける。
⑥お年寄りに「これからも自信を持って、子供たちにいろんなことを教えてください」とお願いする。
⑦街のあちらこちらで、子供たちとお年寄りとの挨拶が始まる。
⑧お年寄りと子供が楽しく語らうことが多くなる。

何回も同じ話をするお年寄りと、何回同じ話を聞いても飽きない子供たち。
この出会いによって、知恵が孫の世代に伝わることになります。

⑨子供たちがお年寄りを尊敬する。
⑩街中から笑い声が聞こえる。家族の団らんが復活する。
⑪素晴らしいコミュニティが誕生する。結果として、環境も美しくなる。

私の経験の範囲ですが、住民同士の仲がいい街はゴミのポイ捨てが少ないようです。

仲がいいと、ゴミがどこに落ちていようと積極的に拾います。きれいなところにはゴミを捨てにくいものです。

反対に仲の悪いところでは、ゴミを拾うどころか押し付け合い、散乱したままになります。ゴミが多いところほど、ポイ捨てされやすいようです。「うちの街はゴミのポイ捨てが多くて困っている」と嘆く前に、「自分たちにも原因があるのではないか」と自省してみてはいかがでしょうか。

このように、「お年寄りと子供たちが仲良く集う街づくり」を始めてみてはいかがでしょうか。お年寄りが役割を見つけて生き甲斐を感じ、子供たちがお年寄りを尊敬し、心からいたわる。このような街で、いじめや差別が起こるでしょうか。環境のことを考えない子供が増えるでしょうか。

子供たちが受け継いだ「知恵」は、ずっと後世まで受け継がれていくことでしょう。

明るいコミュニティづくりこそ、持続可能な社会を実現させる「究極の環境共育」ではないでしょうか

◆お年寄りから学んだ「ありがとうサイクル」のすすめ

私はシニア(?)大学など、お年寄りの方々に講演させていただくことがよくあります。
と言いながら、私もお年寄り(初期高齢者?)の仲間になりましたが・・・・。

その熱心さ、目の輝きはまさに青春真っ盛りのようです。講演しているようで、実は私の方が勉強させていただいています。

たくさんのお年寄り(精神的若者)にお会いして、日本人の心を学ぶことができました。

その中に、「ありがとうサイクルの実践」というものがあります。これはたくさんの方との対話の中から浮かび上がってきたものですが、たいていの「成功し続けている経営者」や「尊敬されている偉人」にも見られる共通点で、かなり普遍性があるようです。

一見、古くさいように感じるかもしれません。しかし私は、このような「排他的でない宗教心や道徳心」は、持続可能な社会を創るために大いに役立つと信じています。

すべての物事に「ありがとう」と言おう。これは、人間の心のあり方として、太古の時代から言い伝えられてきました。確かに「ありがとう」と言うと心が安らぎますし、何かしら大いなる存在に抱かれるように感じます。

一口に「ありがとう」といっても、その中には「有り難し」「もったいない」「お陰様」という3つの気持ちが渾然一体となっているようです。

①有り難し 

これは、「希少価値を得たことに対する嬉しい気持ち」です。文字通り「有ること難し」。最大の「有り難し」は、「今、生きている」ということでしょう。

②もったいない

勿体ない、つまり「たくさんある物をやたらに使っては惜しいという気持ち」です。昔、水はふんだんにあるにもかかわらず、おじいちゃん、おばあちゃんたちは「もったいない、もったいない」と言って大切にしていました。後世のすべての「いのち」のために、杓に汲んだ水のうち半分を元に戻すという「半杓の水」という故事も残っているほどです。

もし、現代人が「有り難し」「もったいない」という気持ちを石油や鉱物、熱帯林などに向けていれば、資源枯渇の問題や環境問題もこれほど深刻にならなかったでしょう。

なお「有り難し」「もったいない」の解釈については、松原泰道老師の『人徳の研究』(大和出版)を参考にさせていただきました。

③お陰様

お陰様とは、「見えない存在が助けてくれていることを喜ぶ気持ち」です。「どこのどなたか存じませんが、皆様の陰徳のお陰で、今こうして生きさせていただいています」という心です。「俺が、俺が」という人は目立ちますが、見えない所で善行を積んだり思いやりを示す人、つまり「陰徳を積む人」は姿を現わしません。しかし、過去から今まで、また世界中に無数に存在するのです。この人たち(実際には、人間だけでなく、あらゆる動植物、空気、水、太陽、万有引力などすべて)を思う気持ちが「お陰様」となって表れるのだと思います。

★感謝について                                                           

ところで「ありがとう」と同じような言葉に「感謝」があります。あるとき、感謝の「謝」には「許してください」という気持ちが込められていることを知りました。そのとき、感謝の謝は、「有り難し」「もったいない」「お陰様」という3つの恩に報いていないことに対する「許してください」という気持ちを表していることに気づきました「私はこの3つの恩を頂き本当に有り難いことだ。しかし、自分はこの恩に報いているだろうか。自分の使命を果たしているだろうか。まだまだ恩に報いていないし、使命も果たしていない。こんな拙い私を許してほしい」。これが「感謝の気持ちを表す」ということだと思います。

感謝の気持ちの表明によって、自分を「反省」する。そうすることで「謙虚」になる。そしてこのように思える自分に「ありがとう」と言い、その自分を育んでくれるすべての存在に「ありがとう」の気持ちを伝える。そしてまた、3つの気持ちを抱き、感謝する。

これを私は「ありがとうサイクル」と名づけました。実際には、一回りしてきたときには1段階進化しているので、「ありがとうスパイラル(らせん)」とも言えると思います。

以前私は、「『地球に優しい人』とは、『地球に対して(環境汚染や利己主義を蔓延させて)やせるほど恥ずかしい、と憂いたすえに、本当の思いやりを持つようになった人』と言うことができる」と書きました。まさに「ありがとうサイクル(スパイラル)」は、お年寄りという人生の大先輩が教えてくれた「地球にやさしい人」になるための道標です。自信を持って、後世に伝えていきたいと思います。

次号では「グリーンクリエイター』として生き方(活き方)について、まとめてみたいと思います。

コラム著者

サステナ・ハース代表、おおさかATCグリーンエコプラザ環境アドバイザー

立山 裕二