Eco Business Information
環境ビジネス情報

環境ビジネス情報

特別コラム 第22回「“もったいない”について」

コラム

2022年1月30日

特別コラム 第22回「“もったいない”について」

こんにちは。ATC環境アドバイザーの立山裕二です。これまでエコプラザカレッジで環境経営やSDGsなどについてセミナー講師を務めさせていただいておりました。

今回は、”もったいない”について考えてみたいと思います。

■もったいないとは?

もったいない。日本では、昔から「当たり前のこと」でした。しかし、この精神が失われつつあります。心ある人たちが、その大切さを訴たえ続けてきました。

しかも年配の人ばかりではありません。1993年には、日本青年会議所が、「もったいない読本」という素晴らしい本を出しています。しかし残念ながら、「もったいない」は「説教臭い」とか「ダサイ」という言葉で掻き消されていました。

そんな中、2004年のノーベル平和賞を受賞されたケニアのワンガリ・マータイさんが、来日した際に知った「もったいない精神」に感動し、世界に広める活動を始められました。

素晴らしいことだし、ありがたいことだと思います。しかし、これからは私たち日本人の番です。マータイさんに頼らずに、私たち日本人自身が誇りを持って「もったいない精神」を世界に伝えていきましょう!

【MOTTAINAIキャンペーン提唱者 ワンガリ・マータイさん】

◆もったいないとは?

私たちは「もったいない」という言葉を何気なく使っています。今さら、定義するのは意味がないかもしれません。

しかし、その精神が薄れてきたように感じますので、あえて私なりの定義をしてみたいと思います。

私は、「もったいない」には3つの意味があると考えています。

1つは「畏れ多い」ということです。

私ごときには”もったいない”ことでございます。

2つ目は「勿体(もつたい)ない」、つまり「たくさんある物をやたらに使っては惜しいという気持ち」を表す意味です。これは、松原泰道老師が『人徳の研究』(大和出版)で書かれている意味です。

昔、水はふんだんにあるにもかかわらず、おじいちゃん、おばあちゃんたちは「勿体ない、勿体ない」と言って大切にしていました。後世のすべての「いのち」のために、杓に汲んだ水のうち半分を元に戻すという「半杓の水」という故事も残っています。

  • 千利休の開いた茶の湯のお手前

茶釜からお湯を茶柄杓で汲んで茶碗に注ぐとき、全部を茶碗に注がず、必ず若干のお湯を茶碗に戻す。

  • 道元禅師(曹洞宗の開祖)の行為

道元は永平寺で毎朝閼伽(あか・仏前に供える水)を付近を流れる川で汲んでいた。
そのとき最後に杓に汲んだ水の半杓の量を川に戻すのを常とした。

豊富な川の水でも、慎ましやかに半杓の水を元の流れに返して下流の人におくる   行為は、将来の人々に彼が徳を積んで与えることを意味していた。

もう1つは、 「その人、その物を活かしきっていない」という意味です。「勿体あらしめる」の反対語としての「勿体ない」ということですね。「この世に存在する、あるいはこの世に生まれてきた目的を果たせずにいる」ことを惜しむ気持ちです。

少なくとも「もったいない」には、これら2つの意味が含まれていると思います。

では、現実問題として「もったいない」はどのような行動の原動力になっているのでしょうか?

◆ビジネスにおける「もったいない」

私見ですが、現在「もったいない」は2つの潮流の中に見て取ることができます。

その1:

ビジネスの世界にこそもったいないの精神が大切。店頭で売れ筋商品を欠品して販売機会を逃がしたとき、全社員が「もったいない」と反省できる企業風土をつくりたい。もったいないというのは、ケチくさい、消極的な思考ではない。無駄(むだ)を極力省き、かつ販売機会ロスを防ぐ前向きな考え方である。

これは、大手コンビニチェーンの社長さんの言葉です。

その2:

当社がレンタル事業を始めたのは、「もったいない」という考えからです。それは物がたくさんあるから消費してもよい、少なくなったから節約しようという単純な考えからではありません。

「もったいない」の逆、「もったいある」というのは、物の本体をあらしめるということです。有機物であろうと無機物であろうと、この世に存在するもののすべてを十分に活用することが、物の本体をあらしめることなのです。

これは、大手レンタル企業の会長さん(故人)の言葉です。

さて、皆さんはどちらの考えに共鳴しますか?

もちろん人それぞれですから、どう考えても自由です。ただ言えることは、現在は前者の経営者やビジネスマンをスゴ腕とかヤリ手といって評価する傾向が大きいということです。

まだまだ薄利多売(1つ当たりの利益は小さくても、たくさん売ればトータルの利益が大きくなる)や計画的陳腐化(君のは古いよ捨てなさい)戦略を崇拝する人が多いということですね。

ただし、この戦略は「物を早く捨てさせる」ことが奨励されている場合と、「捨てるときのコストがタダ」のときだけに通用するものです。

もうお分かりのように、「すぐに壊れる製品は相手にされなくなったこと」、また「ゴミや廃棄物回収の有料化」などで、このような戦略は間もなく通用しなくなるでしょう。

一方で、後者の考え方がだんだん支持され、評価されるようになってきています。私は明らかに時代が変わってきているように思いますが、皆さんはどのように思われますか?

◆「もったいない」と典型的な企業不祥事

いまだに、賞味期限切れの食材を使った企業不祥事が相次いでいます。新聞やニュースで大きく取り上げられたので、多くの人が知っていると思います。

「経験上、充分に食べられる状態だったので、もったいないと思って使用した」。

こんなコメントが経営者や工場長から出されています。

これを聞いて、皆さんはどう思われますか?

「もっともだ。そもそも賞味期限が来ても充分食べられるし、余ったからといって捨てるのは環境的にも問題だ」。

「隠していたのは良くないが、会社の言うことにも一理ある。賞味期限が切れていると言って、まだ食べられる食材を拒否する消費者にも問題がある」。

環境問題に関心のある人は、このような意見が多いようです。環境負荷(人間の活動が環境に与える悪影響)の観点から考えると、何かもっともらしくて、確かそうですね。

では、前述の2つの「もったいない」という立場から見るとどうなるでしょうか?

その1.「たくさんある物をやたらに使っては惜しい」という立場

残り物がたくさん出てきたからといって、やたらと廃てるのは「もったいない」。
だから、廃棄しないように食品(商品)に使ったのだ!

その2.「その人、その物を活かしきっていない」という立

そもそもたくさん残り物を出すこと自体が、その食材を活かしきっていないというという意味で「もったいない」。だから、残り物が出ないように、つまり、捨てるものがなくなるように計画し、実行しているのだ!

この違いは重要です。「その1」は、資源が膨大にあり、捨てる場所が充分ある時の「もったいない」、「その2」は、資源や捨てる場所が限られている時の「もったいない」と考えていいと思います。

実は「その2」の「もったいない」の方が、「食材の購入量が減らせる」、「その分エネルギーが減少し、電気代やガス代を安くできる」、「廃棄物処理コストが低減できる」など、企業としてのメリットが大きいのです。

何も産業界に限らず、私たち個人個人も、資源・捨てる場所・自浄能力の有限性を理解し、「物を活かしきる」という発想で生活する必要があるのではないでしょうか。

企業利益にも、家計にも、環境にも良い!

みんなで、「物を活かしきる」という「もったいない」を拡げていきましょう!

◎賞味期限表示の問題点

私は、賞味期限を過ぎた残り物が出ないように「食材を活かしきろう(使い切ろう)」と言っているのであって、賞味期限そのものが妥当かどうかを問題にしているのではありません。

個人的には、賞味期限が短すぎると思っています。何かあったらすぐにクレームをつける人が多い社会は、企業に賞味期限を短く設定させるパワーを持っています。自分の保存管理の悪さを棚に上げて、何でも企業に責任を押しつける態度そのものが、過剰な廃棄物を産み出していることに気づかなければなりません。

また法律で規制するのも適切でないと考えています。日本の賞味期限は、食品衛生法やJAS法で定められているように、「その食品を開封せず正しく保存した場合に味と品質が充分に保てると製造業者が認める期間(期限)」のことを言います。もし賞味期限の切れた食品を使用して健康被害が発生した場合、製造者に落ち度が無ければ責任を問えません。

そうであれば、いったん決めた賞味期限を過ぎたとしても「味と品質が充分に保てると製造業者が認めたら」期間延長が可能なのではないでしょうか。

もちろんいきなりの変更は改ざんに当たるとしても、一定の手続きを踏めば期間延長を認めてもいいのではないかと思います。「製造者に落ち度が無ければ責任を問えない」ということは「落ち度があれば責任を問える」ということなので、製造物責任(PL)の観点から健康被害を防止することはできると思うのですが。

◆まだまだ現実は・・・・

前述のように、私は「物を活かしきる」という「もったいない」を世界に普及させたいと思います。もし、現代人がこの「もったいない」という気持ちを石油や鉱物、熱帯林などに向けていれば、資源枯渇の問題や環境問題もこれほど深刻にならなかったはずだからです。

人にもこの気持ちで接していたら、いじめや差別、高齢化問題も今ほどは拗れていなかったかも知れません。

環境に対する意識が高まりつつあり、確実に良い変化が起こりつつあるのですが、まだまだ街のあちらこちらで、首をひねるような状況も見られます。

その典型的な事例を1つだけご紹介しましょう。

ある駅からバスに乗った時のことです。天然ガス車でした。

「おお、○○市もなかなかやるなぁ」と初めは絶賛していたのですが、「様子が変」であることに気づきました。

朝9時だというのに乗客は私を含めて3名だったのです。

「こんなんで割があうのかな?」と思っていると、途中で2人が降り、私1人になりました。貸し切り状態です。そして目的の場所に着き、私はバスを降りました。

もうお分かりですね。あの「環境に優しい」天然ガス車は、運転手さんだけを運んでいったのです。

たいていの環境問題の本には、「タクシーよりバスの方が環境負荷が小さいので環境に優しい」と書いてあります。でも乗客なしでは、明らかに「バスの方が環境負荷が大きい」ですよね。

環境負荷の大きさは「状況によって違う」。そんなことを実感させられた1日でした。

このように矛盾もありますが、確実に明るい未来に向かっています。

輝く未来が1日でも早くやってくるように「もったいない」を世界中に発信し、普及させませんか!。

まずは、私たち日本人から始めましょう!
でもその前に、私からですね。

次回は、”儲けと利益の本質”について考えてみたいと思います。

コラム著者

サステナ・ハース代表、おおさかATCグリーンエコプラザ環境アドバイザー

立山 裕二